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卒業生の活躍

卒業生の活躍

遠矢 明子さん(創価高校 40期生)

PROFILE

「世界銀行ワシントンDC本部」勤務

東京都生まれ。創価中学、高校に学び、SUA(アメリカ創価大学)に進学。その後アメリカ屈指の名門・コーネル大学大学院で公共政策学の修士号を取得し、現在、世界銀行ワシントンDC本部で防災専門家としてアフリカと南米のポートフォリオを担当。主にインフラ開発事業の技術支援に携わる。

ベストを尽くしていけば、チャンスが訪れる事を実感

私は世界銀行ワシントンDC本部の気候変動対策部で、防災専門家として途上国の政府機関と援助国間の協力を促し、防災の重要性を主流化する技術支援をしています。また災害大国である日本と世界各国の防災研究拠点を結ぶネットワークを構築し、世界中の防災知識を高めることも私の役割です。学園時代は女子ダンス部の一員として全国大会優勝を目指し、負けじ魂・感謝の心・後輩のために道を拓くという草創期の精神を学びました。

ある時、学園を訪れていたSUAの先輩に大学の歴史を創る意義を伺い、ダンス部で初のSUA合格を目指そうと決意。

学園生時代の女子ダンス部の仲間たちと(前列右が遠矢さん)

受験勉強は苦しく孤独感も多くありましたが、創立者の指導を何度も読み返し必死に挑み合格をする事ができました。振り返ってみれば、自分の限界に挑戦し続けた学園生活でした。SUAでは勉強がとても大変で毎日図書館に籠り、友人らと励まし合いながら勉強した事が大切な思い出です。
授業の一環で南米のグアテマラに行き、鉱業開発がいかに社会や環境に負荷を及ぼしているか現地調査をしました。無断で人々の土地を奪い大規模な自然破壊と共に鉱業開発を推し進めている実状、貧困や水質汚染に苦しむ人々の訴えを制圧しながら経済発展を優先させる状況に衝撃を受けました。
そこで将来は国際機関などで持続可能な開発に取り組みたいと強く決意。しかし大学4年次は進路に迷い卒論のテーマが決まらず、眠れない日々が長く続きました。そんな時期に創立者の平和提言に強く感銘を受け、この平和提言を体現していく使命あるキャリアを築きたいと決意し、卒論のテーマを「防災」にしました。そして様々な方々に支えられ、奨学金付きでコーネル大学大学院に合格することができました。

SUAでの奮闘の日々のおかげか、大学院生活は余裕をもって楽しみ、生徒会の代表にも選ばれ多くのネットワークを築く事ができました。そんな中、世界銀行で働くコーネル大学大学院の卒業生がインターンを探していると大学側に連絡した際、生徒会の顧問をされていた教授が私を推薦してくれ、世界銀行に入行できたのです。

切磋琢磨したコーネル大学大学院生徒会代表メンバーと(一番左が遠矢さん)

最初に配属された部署は、世界銀行の融資するプロジェクトが、環境や社会に悪影響を及ぼさないよう審査規定を厳しく改定するチームで、まさに夢みていた仕事でした。自分の信念や夢を周りに共有し、ベストを尽くしていけば、不思議に縁がつながり、思ってもみなかった形でチャンスが訪れる事を実感しました。
世界中から集う優秀な同僚や上司らに圧倒され、周りと比べて自信をなくし落ち込むことも多々ありますが、そうした時は創価教育で培った自分の可能性を信じる事、自分の使命が必ずある事を思い返しています。世界中で多発する災害に対処する挑戦の日々ですが、一歩一歩進んできた原点を誇りに、私らしく朗らかに邁進していく決意です。

大野 正勝さん(関西創価高校 28期生)

PROFILE

マンチェスター大学講師

愛知県生まれ。関西創価高校に学び、SUA(アメリカ創価大学)に進学。
その後アメリカのクレアモント大学院大学で心理学の博士号を取得し、本年1月より、イギリスの名門・マンチェスター大学、組織心理学の講師として勤務する。

後輩のため、未来のために「道を開く人」に

地元の愛知を離れ、初めての寮生活や慣れない関西弁のシャワーに悪戦苦闘しながら、私の学園生活は始まりました。2000年12月、中学・高校26期生の卒業記念撮影会が行われ、代表メンバーの一人として参加させていただきました。スピーチの中で池田先生は、「アメリカ創価大学に行きたい人?」と聞かれました。勢いで手を挙げて返事をしたことを今でも鮮明に覚えています。これがSUA進学決意の原点となりました。翌年、学園初の「SUAクラス」(当時)が作られ、SUAを目指す仲間と切磋琢磨しながら、金星寮での生活においても、友人が努力する姿に刺激を受け、挑戦をしていきました。
途中、成績が伸びず、悔しい思いもしましたが、創立者の激励に触れ、絶対にあきらめないと努力を重ねる中、SUA合格を勝ち取ることができました。

SUAを卒業後、進路を模索する中で、後輩たちの道を開きたいとの思いで、一度失敗した大学院受験に、再び挑戦。無事合格をし、産業・組織心理学の修士号に、極寒の地・ミネソタで取り組むことになりました。その中、いつかSUAの教壇に立ちたいという思いが強まっていたこともあり、博士課程への進学を決めました。そして2010年、体感温度でマイナス40度に到達する世界から一転、夏には45度を超えることもあるクレアモントでの学業への挑戦が始まりました。そして、2016年の春、博士号を取得することが出来ました。就職では、研究員職を選び、生活の拠点をロサンゼルスに移し、社会人としてのスタートを切ったのです。不思議にも高校同期の藤井大輔君と職場が同じになり、また、海外フィールドワークで南カリフォルニアを訪れる学園生に出会う機会に恵まれ、その度に元気をもらうこともできました。

博士号取得時に大学の門の前にて

研究員職の最長2年という期限も迫る中、次の就職先がなかなか決まらず就職活動も難航。時を同じく、日本にいる父も大病をわずらっていましたが、今こそ、学園で培った「負けじ魂」で挑む時だと決意し、挑戦していきました。
そんな中、契約満了が数日後に迫ったある日、イギリスの大学より、最終面接の知らせがきました。私の業績・経験では到底無理だろうと思われた大学だったので自分の目を疑いました。背水の陣で臨んだ面接も大成功し、内定をいただくことができたのです。

また、無事に手術を大成功で終えて退院をしていた父も、心から喜んでくれました。
晴れて、本年1月から、マンチェスター大学・組織心理学の講師としてスタートすることができました。この先も後輩のため、未来のために「道を開く人」であれるよう邁進してまいります。そして、一流の学者になりゆくとの誓願も新たに、師弟不二の道を々と歩んでまいります。

松本 泰暢さん(札幌創価幼稚園 17期生)

PROFILE

北海道・北広島市役所勤務

北海道生まれ。創価高校、創価大学に学び、北海道・北広島市役所に勤務。公共用地の取得に関わる交渉事務を経て、総務部・総務課に最若手として配属。
2019年度からは保健福祉部に勤務し、障がい福祉の中核を担っている。

師の激励を胸に、苦難を乗り越え、使命の人生を歩む

私は、男3人兄弟の三男坊で、元気で明るい少年へと成長。創価幼稚園に通園していた私に人生の原点が刻まれたのは1992年8月28日。来園された池田先生から直接、園児たちにパンとジュースを頂いた際、私は、真っ先に奪い取るようにしてパンとジュースを頂き、その場でパン、ジュースを食べ、飲み干したあげく、そのごみを直接先生に返してしまったのです。周囲をハラハラさせたことと思いますが、その時の大きく包み込むような、先生のまなざしが、私の人生の原点となりました。
地元の小学校へ進学後、私の人生に暗い影が差し込みました。父が悪性リンパ腫になり、48歳の若さでこの世を去ったのです。大きな悲しみとともに、信念をもって歩んで来たのに、裏切られたような不信感でいっぱいになりました。

その時、脳裏に蘇ったのが、私の原点である、あの夏の日の池田先生のお姿でした。不安や不信感を打ちはらうかのように、創価高校の受験を決意。猛勉強の末に合格し、迎えた、2002年4月8日、母と共に参加をした第35回創価高校入学式。
ご出席された池田先生は、中国の偉人・魯迅は、父を早く亡くし、苦労した分、偉大な指導者となったのだと、スピーチされました。私へお話し頂いたような指導に、深く感銘を受け、とにかく先生を信じて頑張ろうと決意しました。
そして、学園での薫陶を通し、父の死という苦難があったからこそ、今の自分がある。父は自らの命を賭けて、池田先生のもとへ送り出してくれたのだと、宿命即使命の人生を知ることができたのです。

その後、創価大学へ進学。卒業後は北海道に戻り、現在は、日本ハムファイターズのボールパーク構想で話題の北広島市役所に勤めております。
初めての配属先は、新人としては異例の、道路や公園の造成など、公共事業に必要な土地を、お譲り頂く、交渉役が私の仕事でした。
場合によっては、生活の基盤である家ごと移転をして頂くなど、責任も大変に重いものでした。まずは信頼を勝ち取ろうと、誠実に、粘り強く取り組み、多くの案件を契約に至らせることができました。そのことが評価され、2018年度からは市役所の中核の業務を担う、総務部・総務課へ最若手として配属。2019年度からは、保健福祉部福祉課へ配属されるとともに、32歳という北広島市役所としては異例の若さで主査(係長)職への昇格を果たすことができました。

地域の「三大城青年勝利太鼓」で演奏する松本さん

私の3兄弟は、全員、創価幼稚園出身。
長男は大手リサイクルショップの店長として活躍。次男は、創価幼稚園初の医師として、博士号を取得し、創価学園NEWS誌上でも以前、紹介頂きました。3兄弟とも創価幼稚園での薫陶を胸に、父の遺志を、また、3年前に亡くなった母の遺志を受け継ぎ、後継の道を歩んでいます。
これからも、私を育んでくださった創価幼稚園と関わってくださった教職員の皆様、何より創立者・池田先生にお応えする報恩感謝の人生を歩んでいく決意です。

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