卒業生の活躍
「最後の一歩まで断じて退くな!幸福は前にあるからだ」。これは、私たち関西創価高校26期生が創立者からいただいた卒業指針です。関西創価小学校から大学まで創価一貫教育に学び、高校時代はビクトリー寮で、野球部の仲間と切磋琢磨しながら過ごしました。野球部引退後は、「情熱の日」の実行委員をはじめ、数多くの実行委員を経験させていただきました。学園時代、何度も苦しいことがありましたが、担任の先生をはじめ、最高の仲間のおかげで、金の思い出を作ることができました。
現在、私は東京都で小学校の教員として勤務しています。学生時代にしていただいたことを、今度は私が子どもたちに伝えていこうと決め、今日まで誠実に関わってきました。今までに、数多くの卒業生を送り出してきましたが、関わってきたすべての子どもたちとの思い出は、私の宝物です。保護者や地域、先生方からも、「上田先生のクラスの子どもたちは幸せだね」「上田先生が来て学校が良くなった」と言っていただけるようになりました。私は教師になった時、決めたことが2つあります。それは、“子どもと向き合う時間を大切にすること”と“社会で実証を示す”ということです。
数多くの挑戦を重ねてきましたが、中でも「オリンピック・パラリンピック教育」との出会いが、大きく飛躍するきっかけになりました。当時、私の学校は東京都から「オリンピック・パラリンピック教育推進校」の指定を受け、私はその中心者を任されていました。最初は戸惑いもありましたが、学園時代に培った「負けじ魂」を胸に、全力で挑戦。その取り組みが、大学関係者や文科省の方々の目に留まり、東京国際フォーラムでの講演や筑波大学での登壇、さらには大臣が参加した有識者会議の場でも登壇させていただくことができました。
また、私の学校に当時の文科副大臣とパラリンピアンズ協会会長が視察に来られ、授業を見ていただくことができました。大臣級の方が視察に来られることは被災地以外に前例がなく、関係者の方がびっくりされていたと、後から伺いました。視察が終わると副大臣に呼ばれ、「今日は来て本当によかったです。上田先生のような方がいるからこんなにすばらしい学校で、見事な取り組みができているのですね。先生のような方がもっと増えてほしい」と言っていただき、その後、文部科学大臣優秀教職員表彰もいただくことができました。この他にも、教育雑誌や新聞の特集記事の掲載など、これまでの努力が実を結び、感謝の気持ちでいっぱいです。これも、学園時代に経験したこと、卒業指針でいただいた言葉を信じて取り組んだからこそだと確信しています。
今年度からは、指導主事として子どもたちのために奔走しています。これからも、創価一貫教育で学んだ誇りを胸に、陸続と続く後輩のために、道を切り開いていきます。
私は、創価高校入学後、放送部に所属し、行事での音響担当として走り回っていました。2年生の時に創立者が出席された会食会があり、私は寮での夕食会場の音響を担当しました。その時の創立者との初めての出会いが、私の原点となっています。さらに、私たち20期生の入学式では創立者が、トルストイと若きロマン・ローランの大文豪の話を通し「人生全般が出会いによって決まる」と語られ、この言葉が人生の指針になっています。
創価大学に進学し、卒業後は国連職員を目指し、アメリカの大学院への進学に挑戦。ワシントンにある大学より入学許可が届くものの、業績が悪化していた父親が経営する会社の手伝いをするために、留学を断念。仕事はビルの外壁洗浄。国連職員を目指していた自分が作業服を着て毎日、現場でゴンドラに乗る日々。夢と現実の差に、段々と自暴自棄になっていきました。丁度その時に、創立者の恩師・戸田城聖先生の事業が苦境に立たされ、創立者が大学進学を断念し、戸田先生を支えられたという話を聞き、自身の胸のつかえが取れ、留学はできなくても、将来必ず国際貢献を担う仕事を、との確信と歓喜が溢れてきました。
開発に至るまでには、高校の化学の教科書を改めて読み直したり、寒風の中、未処理の排泄物を見て茫然自失するなど、多くの困難も経験しました。
現在では、国内で特許は20件以上所有し、海外でも15カ国以上に出願している主力製品の携帯トイレ「ほっ!トイレ」が、災害備蓄用として大手企業や学校、団体などに採用されています。その後、国立障害者リハビリテーションセンター研究所と共同で介護用のトイレ処理剤を開発。現在は、千葉大学医学部と医療向け商品の開発を行っています。
国連職員を目指していた私ですが、JICAとの調査事業でモンゴルでのプロジェクトが採用されたことを皮切りに、現在はウガンダで、消化器感染症防止を目的とするプロジェクトや、ボリビア・ウユニ塩湖でのトイレ処理、ミミズコンポストによる土壌化のプロジェクトを手掛けています。
学園で培った「負けじ魂」で、創立者に誓った国際貢献への道を一歩ずつ歩んでまいります。